May 24, 2009
赤ら顔に悩んでいました
私は子供の頃赤ら顔で悩みました。いつでも、頬が赤いりんご病かと嘲笑しています。特に緊張してドキドキしてすると赤面し、顔全体が真っ赤に一つになってしまいます。赤ら顔の程度の問題はありません。顔の色が赤になるでしょう。それは年齢が上がるにつれ少しずつですが薄くなってきました。小学生の頃リンゴから中学生の桃れています。大人になった今では化粧でも隠せないので、天然のチーク程度です。最近では美容クリニックで医療脱毛をしている人は多いだろう価格が安くなったのが理由である。エステサロンの脱毛よりも安全で清潔、高速であるため、美容クリニックで医療脱毛を希望する人は増えている、最初の起動のことはより安くなるサービスを実施しているところが多いのでそんな所をはしごすれば、より安く、医療脱毛を受け取ることができるのだ。
東日本大震災の発生時から「震災日記」を書き続ける岩手県山田町立大沢小学校に通っていた子供たち。毎日小学生新聞に月1回「大沢からの報告」として掲載されている日記には、3カ月を経て復興で少しずつ変化する生活や心持ちがつづられている。
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5月11日
震災から2か月がたちました。あの時を思い出すと、今でもふるえます。でも、あの時と今の町ではぜんぜんちがいます。今ではみんな、前を向いてがんばっています。(佐々木あみ・6年)
5月12日
今日から家のおふろに入れるようになった。新しく買ったので、とても立派だった。おふろに入れてよかった。(中村百花・5年)
5月15日
震災後、ずっとやっていなかったピアノのレッスンをした。ピアノ教室が流されたので、家でやった。うれしかった。(白野虹歩(しらのにじほ)・5年)
5月23日
今日から家庭訪問があります。なので4時間授業です。私たちがいつも食べている弁当は、無料で、しかも毎日メニューが変わります。感謝しながら残さず食べています。(中村奈緒・中1)
5月28日
宮古から山田に帰ってくる時、国道の街灯がなく、とても暗くてこわかった。あかりって、私たちにとって、とても大切だと思う。早くつけてもらいたいです。(古久保優希菜・6年)
5月31日
今日は、早退をした。おじちゃんの火葬の日だ。顔を見れなかったけど、しっかりとお別れのあいさつをした。おじちゃんはスーパーで働いていた。今は再開しているが、ぼくのお母さんは思い出して泣いてしまうから行けていない。早く元の明るいお母さんに戻って、元気になってほしいなと思う。(大川海成・中1)
6月1日
今日から衣替えでした。だけど1年生はそのままジャージです。2、3年生も夏服を流された人がいたのでジャージ登校でした。早く山中生全員が制服を着る日が来るといいです。(中村奈緒)
6月2日
震災から二日目の時、お世話になった人におれいをしにいきました。(福士悠太・6年)
6月5日
盛岡で中学校に入ってから初めての柔道の大会があった。一か月以上練習が遅れていたので、その分何週間も精いっぱい練習を頑張ってきたけど、3年生とかと対戦して負けてしまった。くやしかった。次は、一週間後にまた大会があるので、試合に勝つために毎日頑張りたい。(大川海渡・中1)
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光村図書出版の小学5年生の国語教科書に今春、津波から地域住民を守った浜口儀兵衛(1820〜85年)の伝記が、64年ぶりに復活した。しかし東日本大震災が起き、津波の描写が子どもに影響を及ぼすことを同社は懸念。指導に格段の配慮をするよう学校側に呼びかけ、急きょ代替教材を作り、被災地の学校に送る異例の対応をとっている。
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伝記は、安政南海地震(1854年)の津波から紀州藩広村(現和歌山県広川町)の住民を救ったしょうゆ醸造家・儀兵衛を描いた「百年後のふるさとを守る」。儀兵衛をモデルにした物語「稲むらの火」は1937年から10年間、小学校の国定教科書に掲載され、「百年後」の導入にも使われている。
伝記では、積みワラに火をつけ、暗闇で逃げ道を失った村人に方向を指し示した逸話と、私財をなげうち堤防づくりに取り組んだ様子がつづられている。津波については「一番波によって、はまに近い家々はたおされた。二番波によって死者が出た。三番波で、こわれた家などがことごとく運び去られてしまった」と表現している。
同社は、克明な描写で子供たちが授業を受けられなくなることを懸念し、役員会を開き対応を協議した。4月にはホームページや教員向けの広報誌で配慮を呼びかけ、別の物語を代替教材として冊子にした。
代替教材は東北沿岸部をはじめ、希望する学校に2万5000部を送った。教師の判断でこの伝記の代わりに使うことができる。被災地の県教委には「防災と復興を考えるいい教材。使いたい」との声もあったという。編集本部長の鷲巣学さんは「郷土愛について学び、自ら考えることを願った教材なので、できれば扱ってほしい」と話している。【木村葉子】
◇リアル過ぎるので理解できる
広川町にある津波の総合学習施設「稲むらの火の館」の熊野享館長(61)は、「代替教材に目を通していないので判断できないが、被災地の児童にとっては、今の時点ではあまりにもリアル過ぎるので、理解できる」と話した。ただ、「一、二、三番波といくつもの波が押し寄せてくることは事実であり、一番波の後に自宅などに引き返せば危険だと、被災地以外では伝えていきたい」と力説した。今風の屋上緑化が大幅に改善【山下貴史】
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