May 29, 2010
国内旅行に行って家に出ていない
私は実家が北海道です。今年の夏の旅行というかの規定に行きました。数年ぶりにあったため、国内旅行のつもりで行きました。しかし、以前にはなかったようだが、蝦夷梅雨には毎日雨の連続です。約一週間滞在しましたが、どこにも行くことができず無効にしている。まあ親孝行のつもりはあるが、やはり、高い料金の精液を注いでいる国内旅行なので、来年には他のゴトエハゴと思います。韓国は、日本でも近いので、卒業旅行で韓国に行く学生が多いです。日本から韓国まで飛行機で約1時間30分程度の距離です。飛行機に乗ればあっという間に目的地についてしまいます。韓国に卒業旅行は旅行会社のツアーが充実しています。価格もツアーが安いです。ただし、韓国旅行に行く女性は注意が必要です。
ゆっくりとした語り口に、誰とでも仲良くなれそうな穏やかな人柄−。戦場カメラマンの渡部陽一さん(38)は、その独特のキャラクターで人気を集めています。テレビのバラエティー番組出演で、お茶の間にもおなじみの顔ですが、世界の数々の紛争地域で取材を続けています。学生時代に訪れたアフリカでの壮絶な体験が、報道の世界を志すきっかけとなりました。(草下健夫)
【写真で見る】会見中に大震災が発生、とっさに身をかがめる渡部さん
「弁護士や検察官など困っている人を助ける仕事に就きたい」。これが大学の法学部に入った動機だった。ところが、一般教養課程の生物学の授業に出たことで、その夢は大きく変わってしまう。
「先生がアフリカの(狩猟民の)ピグミーの話をしてくれた。弓ややりでの生活なんて信じられなかった。会いたくなった」。気楽な旅行者気分で、ピグミーが暮らすザイール(現・コンゴ民主共和国)へ。ある日、行商人のトラックに乗せてもらいジャングルを進むと、不意に20人ほどの子供の一群が姿を見せた。
子供たちは銃を乱射し、近づいてきた。ゲリラの少年兵だったのだ。所持金やカメラなど一切合切を差し出す。撃たれなかったのが不幸中の幸いだった。
周辺集落も被害に遭い、女性や子供たちが少年兵に連れ去られていた。「残った村の子供たちは泣き叫んで、『助けて』と僕の服を引っ張る。でも何もできませんでした」
帰国し、大学で友人に体験談を話しても信じてもらえない。「戦ったり、拉致されたりしている子供たちのSOSを世の中に知らせる方法は」。もどかしさが募る中、気付いたのが大好きなカメラのこと。「写真なら子供たちの叫びが伝わるのでは。戦場を撮るカメラマンになろう」
大学在学中からフリーのカメラマンとして活動。2003(平成15)年に勃発したイラク戦争では、初めてビデオカメラを使ってテレビの仕事をこなした。フリーアナウンサーの大村正樹さん(44)とバグダッドで知り合い、帰国後も交流を深めてテレビに出演するきっかけをくれたという。
テレビとの接点が深まると、平成21年の年末にはバラエティー番組で、戦場カメラマンの仕事について、インタビューを受けた。ゆっくりと語りかけるような独特な語り口。そのキャラクターが注目され、年が明けるとさまざまな番組に出演を重ねるようになった。「お呼びがかかることが、何とも不思議であり、ありがたいことでもあります」
しかし、テレビ出演には葛藤もあったという。「あくまで戦場の真実を伝えるのが僕の仕事。バラエティー番組はいかがなものか」
悩み続けた末、指導を受けていた報道写真家の山本皓一(こういち)さん(68)に相談した。山本さんのアドバイスは「やってみたらいい。ただ条件として、どの番組でも少しでも撮影した写真を使っていただき、自分で何が起こっているかを伝えること。これさえ守れれば、何を言われても静かにしていなさい」。この言葉が、背中を押してくれた。
バラエティー番組に出たことは、今では良かったと思っている。「子供から年配の方にまで、イラク、アフガニスタン、レバノン、パレスチナ、スーダンといった世界のことを伝えられ、少しでも『アフガニスタンってどんな国なの』と思ってもらえるようになるのが、一番うれしい」。学生時代に訪れたザイールの「助けて」と服を引っ張ってきた子供たちの声が、日本の子供たちの耳に伝わる機会が増えることにつながるからだ。
「真実を伝えたい」という思いから、カメラのファインダーを通じて世界を見続けている。その原点は少年時代にまでさかのぼる。
剣豪小説が好きな父親の影響で小中学時代の9年間、剣道に明け暮れた。「礼節を保って自分を律し、目上の人を敬うことをたたき込まれました。今でも僕のカメラマンの仕事には、少年剣道時代がルーツにあると思う」。戦う相手にも敬意を払う剣道で培った心は、時に「サムライジャーナリスト」を名乗る精神にもつながる。どんなことも新鮮な感動として受け止めるおおらかな態度、そして好奇心が自身を導いてきた。
「将来、何十年先かもしれないが、世界から戦争がなくなり、戦場カメラマンの仕事がなくなって、学校カメラマンになること。世界中の学校を撮影し、写真集やドキュメンタリー番組などで、伝えていきたい」
世界を見つめてきた真摯(しんし)なまなざしが、そのまま未来にも向けられている。
−−戦場写真の心がけは
「駆け出しのころ、ほかの戦場カメラマンから『1枚で戦争を仕掛ける側と、やられている側、それぞれの思いが伝わるように』『報道機関向けに配信するときは、どこの国の新聞に載っても分かりやすいものを』とアドバイスをいただき、生かしています」
−−戦場は怖くありませんか
「危機管理をしっかりすることで、恐怖は和らぎます。その絶対条件はガイドさん選び。現地で生まれて人脈を持ち、危険が分かるガイドさんの言うことに必ず従います。生きて帰ることが絶対条件です」
−−どうしてそんな話し方を?
「小さいころから友人に『渡部は話し方が変だ』と言われました。外国に行くようになり、言葉が通じない国で単語を正確にゆっくり伝えると、理解してもらえるんです。そんな生活を続けて、もともとの話し方から、さらにゆっくりになったんだと思います」
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